国産オーディオのお話。昨日の記事の続きです。
昨日の記事はこちら
分かりやすく書くのにどうしても例を入れたくなるのが辛いです。
例に挙げたものを全否定している訳ではないのですが、
どうしてもそう見えてしまうので悩ましい。
記事の目次
何が問題か本当に分かるの?
「私が分かってる」というものではなく、
多分、多くの方が同じ結論に達するくらい簡単に分かると思います。
50年もの長い期間、結果が出てないということは、
正しいと思っていることが片っ端から間違っているんですよ。
何か間違っている時って必ず法則があって、
何故そういうことになるのかと言うと、
- 正しいと思っていることが間違っているから
これが最大の要因だと私は思っています。
では、何故間違ってしまうのか。
- 正しいものを見分ける感覚が育ってないから
これが問題の根底にあるものではないでしょうか。
今、正しいと思っていることを挙げればそれが全部間違いで、
感覚が育ってないのであれば育てればいいのではないかと、
多分、その程度でどうにかなると思います。
今の日本の業界が正しいと思っていることを挙げてみます
- スペックがよければ音がいい
- 新素材なら音がいい
- 特性の良い素材やパーツを使えば音がいい
- 構成や回路がシンプルなら音がいい
- オーディオ指標がよくなれば音がいい。具体的には、解像度、情報量、SN比、レンジ、高域の伸び、音場の広さ、定位など、もうあれこれ全部。
と、よく見かける主張を並べてみました。
これらの項目を挙げるのは大体の人ができると思いますので、
上の方で簡単だと書きました。
これらの項目って原因と結果の捉え方に問題があるんですよね。
音がいいものを調べたら上のような項目があったというのが実際で、
上のような項目を満たせば音がいいという訳ではない。
上の項目は音質をよくするための必要条件であって十分条件ではない。
十分条件を必要条件と認識してしまったのが問題の始まりなのではないかと、
そんな風に感じています。
「必要条件」と「十分条件」は以下のサイトが分かりやすいです。
http://bn.eigonooni.com/pg02.html
内容を一部抜粋します。
・十分条件:「そう言うのに十分」だと覚えておく
・必要条件:「そうかもしれないけど、それだけではない」と覚えておく
この引用部分の言い方を借ります。
上の項目(オーディオ指標がよくなれば音がいい)というのは、
必要条件であって十分条件ではない。
つまり、音が良ければ指標はいいけど(十分条件)
指標がよくても音がいいとは限らない(必要条件)
と、こんな感じでしょうか。
ここからは私の見解です
上の項目のように問題を羅列するところまでは簡単なのですが、
何故これらがダメなのか、代わりにどうすればいいのかを
提示するのは非常に難しいと私は思っています。
それらはおそらく各個人で見解が大きく異なると思いますし。
ここからは私なりの見解をまとめてみます。
なぜ今のやり方がダメなのか
上の項目で挙げたものをざっと見た時に、
音楽に関係する要素が一つもないのはおかしいと思いませんか?
音楽を聴くものを創らないといけないのに、
多くの人が音楽について意識を向けていないんですよ。
「心理学者が、普通の人が理解できるような本を書けない」
「心療内科の医師と患者の間で会話が成立しない」
なんてことをしばしば見かけるくらい矛盾してるんですよ。
つまり、日本の業界の人は音楽を聴いていないんです。
心理学者や医者の方は、人の心を研究したり治療する立場なのに
人の心を見ていないんですよ。だから成果が出ない、
つまり、音楽の鳴る機材が生まれないのではないかと。
音楽を聴いていない例はこちらの記事が参考になると思います。
音楽に焦点を当てないと今の状況は変えられないというのが私の結論です。
新素材探しや技術や測定器とにらめっこしてもダメなのは
今までの日本のオーディオ史が証明していますから。
音楽に焦点を当てるってどういうこと?
もっと音楽を聴いて、音楽を聴く感覚を磨きましょうってことです。
「御託を並べる前に音楽を聴け」
と、これもあちこちで私が言ってますけれど。
いえ、本当にこれだけで全部変わりますよ。
音楽を聴いて感覚を磨かないと何も始まりません。
以前私が書いた音楽を聴く感覚を磨くやり方はこちらです。
ただ、音源の方をよくするのは難しいと思います
生音を相当多く聴いていらっしゃると思われる音楽制作者の
創る音源が、どうして今のようなこんな酷いことになってしまうのか。
その原因がさっぱり分かっていません。
打ち込み系の製作者の音源が酷いだけなら原因の特定は簡単ですが、
何故にクラシック畑の人も同じタイミングで酷いことになるのでしょう。
しかも、こちらは日本に限らず欧米でも同じ現象が起きていますから、
事態はオーディオ機器製作者側より遥かに深刻です。
予算や時間の都合が大きいのは分かりますが、
それにしてもそこを改善する方策を誰も言わないのが気になります。
惰性でやっていて音質のことなんて考えていないのか、
それとも何かができる時間を作れないほど予算や時間が無いのか、
そのあたりが全く見えてきません。
原因がはっきりしないので対応策も提示できません。
ワンポイント録音しか許されない環境にいれば嫌でもいい音源が
作れるようになるかなと思ったのですが、今は音楽性のない
ワンポイント録音が巷に溢れているという事実に私が凹む始末です。
予算というか機材の問題なんでしょうか。
使う機材が安くなって音楽性を表現できなくなったから
音楽性のある音源を作れなくなってしまったと考えるのが
正しいのでしょうか。これなら、全世界の音源の音楽性が
一様に落ちていることに説得力のある説明ができます。
その一例を過去に書いています。
HorusとPyramixで制作された音源に例外なく一定以上の
音楽性があるのは、やはり機材の力が強いってことでは
ないのかなと思います。
HorusとPyramixで制作された音源の紹介記事はこちら
HorusとPyramixでもダメなら、
もう現場を直接視察するしかありません。
机上であれこれ考えても分からないから
こんなに状況が悪くなっているのだと思いますし。
そして、私には才能が無かった
私はずっと、音楽を通して表現される演奏者の心に焦点を当てて
音楽を聴いていましたが、そういう聞き方が一般的なのかすらも
分からなかったため、どう書いたらいいのか分かりませんでした。
なので、オーディオ指標で書くのを色々頑張って、
でもだんだん書けないようになっていって、
今は指標で書くことを諦めてしまったという経緯があります。
だって、指標で書けるような音は音楽が鳴っていないし、
音楽が鳴る機材はその力が強ければ強いほど
指標で書けなくなるほど心に響くのですから、
こんなところでいくら頑張っても何の意味も無いんですよ。
私がここまで来るのに20年も掛かりました。
それは私の才能の無さを表していると思っています。
なので、才能がある人にさっさと私の境地なんか
飛び越えてもらって、新しい世界を見せてほしいんですよ。
私は20年という時間を掛け、機材や音源にある音楽性の有無は
分かるようになりました。でも、それだけ。
音楽性のある機材や音源を創ることはできません。
自分が創ったものに音楽性がないことは分かるけど、
音楽性を込めるための手法が分からない。
高いパーツを使ってもMarantzの一番安い単品コンポにすら敵わない。
それが私の今のところの限界です。