オーディオ系でちょっといいなと思ったツイートを紹介します

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ちょっといろいろ書きたくなりましたので、
一連のツイートを紹介します。

感性が鋭いことが大事なのではない

ある環境では感じる変化も、自分の環境/感性では違いが分からないかもしれない

私はもう少し考え方が違っていまして。

人によって大事なものが異なるのですから、
「感性が低いから変化が分からない」
という考え方が間違っているのだと私は思っています。

ただし、
「差が出やすいシステムほど表現できるものが多い」
というのは正しいと思っています。

尤も、差が出やすいシステムの方が楽しく音楽が聞けるかは別です。
そういうシステムじゃないと満足できない人だけ
その方向を進めばいいのではないでしょうか。

大事なのはその変化が自分にとって必要かどうかを判断する力で、
その判断ができなければ別に取り入れなければいいんですよ。

「感性が鋭い=細かい違いが全部わかる」という方程式があると
錯覚されている方が多い気がします。
だから分かる分からないで不毛な論戦になる訳で。

自分が必要と思う方向で取捨選択ができればそれでいいのだと私は思います。

音オンチの方が音楽を楽しめる?

(注意)
上のツイートは「趣味で楽しむ分には幸せ」という視点で書かれて
いますので、以下の私の主題とは意図が異なっているかもしれません。

<閑話休題>

何を以って理想と思うかは人ぞれぞれなので、
その人が良ければいいのだと私も思います。

ただ、「音オンチの方が~」というくだりは、
個人的には違うのではないかなと思っています。

細かい違いが分かること、音楽の良し悪しが分かること、
音楽性を見いだせること、違和感を感じること。
これらがあまり分からないことを音オンチだと言うと思うのですが、
感覚が鋭いと素晴らしいものの素晴らしさは本当によく分かるので、
「オンチであれば楽しめる」というのはちょっと違うかなと思っています。

以前に書いた私の記事で、感覚が鈍いということは
いいものがわからなくなることだと書きました。

感覚が鈍いというのは「いいものが分からなくなる」ということ
味覚の題材からオーディオに繋げています。 何でもオーディオに絡めてしまうのは私の悪い癖です。 「舌が肥える」ということ「舌が...

上の記事の内容は今でも正しいと思っていますが、
ここで1つ注意する点があります。

「感覚が鋭くない人は本当の意味で音楽を楽しめない」
などとつっかかるのは絶対に間違っているということです。

楽しみ方は人ぞれぞれだからそれで満足してる人には口出しをしない、
そこから上を目指そうと思っている人には必要なことを伝える、
というのが一番いい方法なのかなと私は思っています。

人によって正しいものは異なるのですから。

で、私の場合は?

私は音源や機材の違和感に関しては異常なまでに敏感で、
音楽センスに関しては笑ってしまうほどズブで、
なぜか音楽性に関してはそこそこ分かるかも?という感じです。

今のシステムに何の不満もなく、コンサートに行けば純粋に音楽を楽しめる。

自分のシステムに不満はいくつもありますが、
最近はそういう不満はどんどん減っています。
コンサートで音質に不満を感じることは少ないですが、
音質のいいホールを選んだり席の位置にも気をつけますし、
演奏の中身にはどうしたって良し悪しがあって楽しめないこともあります。

尤も、音楽センスがない私が気になる演奏の中身というのは
「観客にいい演奏を届けようと心がけているか」という点で、
一流奏者が手を抜いた演奏より、若手の奏者が真剣に弾いた演奏や
素人が楽しく弾いている演奏を私は好むので、
やっぱり私には音楽センスが無いってことなんだと思います。

細かいことが気になってくると、いつもと違うだけで音楽集中できなくなる。

細かいことは確かに気になりますが、今の私のシステムで
私が音質がいいと思う音源を再生すれば別の作業をしていても
音楽に引きずり込まれる程度には再生できています。
違和感のある音源や加工マシマシの音源は聞けたものではないですけど、
それは「細かいことが気になる」のとは違いますし。

店頭のシステムだと音楽を楽しめないことが多いですが、
「細かいことが気になっている」のではなくて、
「再生できているものが少なすぎてつまらない」というものですし。

拘り(こだわり)は人それぞれ

この「無粋な行為」という指摘は本当にそうだと思いますが、
私の記事がここの部分を守れているかは甚だ疑問かなと。
ただ、そこを気にして何も発信できなくなるのはもっと問題だと思っています。

正しくても正しくなくても批判されるのが今の時代です。
周りの意見を汲み入れつつ、
自分が正しいと思う道を進むことが大事なのかなと思います。

追加分

凡人は音楽と音質を切り離せないと思う

音質に左右されない音楽の理解って自分にはできない

ここの部分は本当によく分かります。
ラジカセでクラシック音楽を聞いても私は何も楽しくないですから。

他者にわざわざそんな労苦を味うようなことはして欲しくないっていう身勝手なエゴがあるってこと

ここに関しては、今までの私の記事を読んで頂ければ分かると思いますが、
私は他の方に音楽を楽しめない機材やアクセサリを購入してほしくないと
思っています。

実際、オーディオについては良し悪しについて正しく報じられていないという
現実があります。(もっと正確に言うならば、何が正しいか分かっている人が
極端に少ない、ということだと思っていますが)

ですので、私は私が正しいと思うものについて軸を一切ぶらすことなく
一貫した内容を書いているつもりです。
(他の人にとって正しいとは限りません)

私の軸がブレていないと思うのは、
正しいと思っているものが30年以上変わらないからで、
昔いいと思ったものが今でもいいと思うものしかないからです。

それと、私は私を言い負かしてくれるくらい能力の高い人が現れること
を願っているので、議論で負けようが客観的なデータで負けていようが
文章が下手であろうが音楽的センスがなかろうが、
そんなことは本当にどうでもいいんですよ。
凄い人が現れれば、確実にいい機材や音源が増えるのですから。
今みたいに血眼になって探してもいい機材や音源に出会えないことが
私には苦痛なだけなんです。

オーディオを楽しまれる方の要求水準が上がれば、
否が応でも音楽の表現に富む機材が増え、表現に富む音源が増えます。
私が普通の人より能力的に上である必要は一切ありません。
いい機材や音源を今よりも簡単に手に入れられるようになれれば何でもいいです。

実際、機材を累計1000以上、視聴音源を毎年数百以上聞いていると嫌になりますよ。
なんでこんなに音質的にハズレが多いのかって。
そんな徒労が減ってくれないかなと切実に願っているだけなのですが。

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