私に絶対的な音質のよさがどうしても必要な理由

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これを書いていなかったような気がして。
一言で言うと、
音の情報を頭で補完する能力が極端に弱いんです、私。

どういうこと?

具体的に言いますと、電話で話すと高域がばっさりなくなるため、
何を話しているか非常に分かりにくくなります。
(音声解析に頭を持っていかれるので、メモを取るのも大変)

一時期、携帯電話の音質がかなり悪かった時期がありましたが、
あの時はもうほとんど会話にならなかったです。
他に、トランシーバーや無線もかなり苦しくて、
私だけ会話に参加できていないとかザラです。

以前、TOEICのヒアリングで小さいラジカセを使われた時は参りました。
音量を無理に大きくして音割れしてたため、ほとんど聞き取れなくて。
あの音で日本語の聞き取りをさせられたら半分も正解できません。

他には、ニコニコのテキスト読み上げ音声で(ゆっくり音声)
生放送をされている方が一杯いらっしゃいますが、
あの音質で2つ被ったらもう何が何だか分からなくなります。

これでも単純な聴力は平均以上あるのが難しいところです。

じゃあ、音楽を聞く時ってどうなるの?

普通の方は補完能力が強いため、再生システムの足りない
ところを補完して聴くことができます。
指揮者や演奏者の方で、ミニコンポで音楽が聴けたり演奏の善し悪しを
指摘できるのは、まさにこの補完能力が高いからではないでしょうか。

私の場合、補完能力が極端に弱いので「今出ている音」でしか判断できません。
再生音が素晴らしくなれば細かいところも指摘できるようになりますが、
音が悪ければ何も指摘できなくなりますし、
そもそも面白くないので音楽を聞く気にもなれません。

音楽を糧にしていた私にとってその状況は致命的だったため、
再生システムの音質向上は至上命題で、長く格闘することになりました。

メリットがない訳ではないけれど

補完能力が低いということは脳内補正力が弱いということ。
今までのブログの内容を読んで頂いている方なら分かると思いますが、
どうやら他の方より先入観で音が変わる幅が小さいようです。

音が良くなる良くなると思って機材を変えて再生して、
あれ、音よくない、なんで?となって、よくよく結線を見てみたら
機材が逆に繋がっていたとか、それに類することが何百回あったことか。

ま、自分が使う製品選びくらいにしか使えないのですけれど。

音のよさを見越して買うというのは私にはとても無理です。
今すごい音で鳴っているものを買えば、最大値として
そのくらいは鳴るだろう、という意識でしか選べません。
結局、そんな製品は出会えないか物理的に大きすぎるかのどちらかでした。

そういうこともあって巷の指標が私に役に立つはずもなく、
自分の感覚だけで判断するしかなかったという訳です。

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