やっぱり私が気になるのは食べ物とオーディオの2つ。
「本質的なよさに鈍感」とは、
まとめてしまうと以下の2点に集約されます。
・質の悪いものをそこそこいいと思ってしまう。
・質のいいもののよさが分からない。
鈍感、つまり感覚が鈍くなるというのは恐ろしいことなのですが。
少し前にもちょっと詳しく書いていますのでそちらもどうぞ
感覚が鈍くなるということ
つまり、良し悪しを判断する感覚が育っていないということ。
いいものの良さが分からないから、悪いものでいいやと思ってしまう。
結果、触れるものの質がどんどん低下していく。
だから、いいものがどんどん分からなくなる。
この悪循環は恐ろしい。
質のよさを判断する能力が失われているため、
分かりやすいものでしか判断できなくなります。
オーディオでいえば情報量や解像度、
食べ物で言えば脂の多さ、甘さ、塩気。
オーディオ界でこれを体現しているのがヘッドホンで、
食べ物でこれを体現しているのはジャンクフードとA5肉でしょう。
事実、ヘッドホン派とスピーカー派の間では
音源の音のよさに関しての感覚があり得ないほど違うため、
全く議論になりません。
質のよさを分かる人がその感覚は間違ってるよと指摘しても、
指摘された側は知覚できないから理解することができない。
結果、溝は永久に埋まらない。と、こうなる訳です。
意外と改心させる方法はそんなに難しくなくて、
質のいいものに長く触れさせていればそのうち気付く程度には
人間の感覚は鋭いのですが、ま、数年単位でしつこく続けられる
人は一握りなので、実際に改心できる人は稀という訳です。
もう、いいものを生み出すことは叶わないんだろうな
今はヘッドホンで十分という感覚しか持っていない人が激増しています。
もう止まらない。もう変わらない。
音源がヘッドホンを意識するようになった時期に修正できれば
よかったのですが、今はヘッドホンでは聴けるけどスピーカーでは
聴けたものじゃないという音源が量産されているので無理です。
軌道修正はもう叶わない。
今の音源をそれなりに聞こうと思ったらヘッドホンじゃないと面白くない。
結果、スピーカーなんていらないよね状態になる。
そして感覚は育たない。
必然、音楽のよさは分からないままとなって聴かなくなる。
結果、音楽産業が廃れる。
この流れに反抗してくる音楽レーベルはあるのか?
見つけたら目一杯応援しますが、20年待って出てきたのは1つだけ。
そしてその1つであるところのM.A.Recordingsですら、
DSDレコーダーを使って今までの良さが全部消えてしまいました。
もう、この悪循環を止められる気がしません・・・。
今の時代と書きましたが、どうやら昔から変わってないらしい(6/14追加)
この記事自体はかなり昔に書いて下書きのままに放置していたのですが、
最近、どうやら普通の人の感覚って今も昔も相当酷いという事実を
2016年になってようやく知ったんですよ・・・。
で、この記事を掘り起こしました。
知覚できないものに対して鈍感になるのは仕方ないので、
(私もそうですし)
感覚の鋭い方は、諦めの気持ちが必要なのかもしれません。
はじめまして、ヘンデルと申します。
CD専用機とSPでバロック音楽を楽しんでいます。レコーディングの良さが消えていくのは困ったもんですね。もうひとつ、演奏者の取り組みにも不満があります。また、バッハのカンタータなどの宗教曲は信仰の有無で情感がまったく違ってしまいます。それは、わたしのような者でもわかります。ヘッドホンではその情感を表現しきれないと思います。人の感性がどんどん退化し狂って行くようで怖いですね。メーカーも評論家もヘッドホンを持ち上げるのはやめてほしいです。資金がなければ貯めればいいことですし音量が出せなければ小音量で聞けるようにすればよいです。どんな趣味でも安直はいけませんよね。勉強と努力が必要なはずです。