ワタリの長老の語りの詳細はこちら
男性の声がよく聞こえるシステムというのは結構難しいようです。
解像度とか情報量とかでシステムを判断すると高い確率で失敗するので、
音や音楽や芝居が体に染み渡る度合いが大きい物を探した方がいいと思います。
そういう機材は本当に数が少ないので探すのは大変ですけれども。
オーディオのお話が多いです。内容はマイナーなものばかりです
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男性の声がよく聞こえるシステムというのは結構難しいようです。
解像度とか情報量とかでシステムを判断すると高い確率で失敗するので、
音や音楽や芝居が体に染み渡る度合いが大きい物を探した方がいいと思います。
そういう機材は本当に数が少ないので探すのは大変ですけれども。
返信に困ってしまうコメントではダメですよね。
申し訳ないと思っています。
『良い音源は良く、悪い音源は悪く』を目指す上で、険しい場面の乗り越え方や、折り合いのつけ方を伺えればと思ってのコメントでした。
余り、お伝えしたい事ばかり書いてはいけませんね、反省一頻りです。
お久しぶりです。
ネットの内にリアルな世界の指標になる発言は少ないと感じています。
それは半ばネットが死んでしまったからかも知れません。
ブログなどはROMの方が大半ですし、レスも一言主神の様なものが多いと思うこの頃です。
演出や演技などを掘り下げた会話は、表現者同士で交わされるもので外部に発信しない気がします。リアルでもライトな話が好まれるので、どうしても同職業の方や近しい人達と交わさざるを得えない状況だと私自身も痛感しています。
表現者であっても職種が違った場合、例えばデザイナーの方と話してかなりギャップを感じる事もあります・・・きっと実際に創作をしている人間との間に、立場の相違が際立つ場面が生まれるからでしょう。
以前にも話題に上がった行き違いや誤解による恐れも、ROMを助長しているのかも知れません。それは『語彙の解釈』が違う事によって生ずるのだと思います。その位今は『言葉』について沢山の解釈の余地があるのだと思います。
これは怖い事だと私は慄いています。
同じ言語を使っているのに、話が出来ない、通じない、などの障害で会話が成立せずに物別れに終わるからです。
オーディオの世界も黙して語らない方々が多くいらっしゃると感じています。
このブログの基準は、良い音源は良く、悪い音源は悪くを旨とされていると伺っています。
それを車やバイクに例えるなら、路面の状態を余す事なく伝えるサスペンション、シャーシ、フレームであると言えると思います、言わば、クローズドサーキットのセッティングなのでしょう。
このようなレーシーなセッティングは一般道を走行する場合、必要以外の情報もレスポンスとして帰って来て、それはある意味辛く、険しく、苦行とも感じるものでは無いかと推察します。
それを楽しめる方であればその部分に醍醐味を見出す事が出来ます。
こここそが、価値観の違いなのだと思います。
(音源を聴いて音をどう判断するかは先程の語彙と同じで、そんなに違いがあってはまずいといつも思っています、価値観の前の問題だからです)
私はそれ程ストイックではありませんが、遠く無い所を目指して行きたい、そう思っています。機器を設計製作するメーカーの安っぽい脚色に惑わされない様に・・・
その上で、スチール写真に例えるなら、Leitzレンズの、特にプリント表現に独自のものあって、数値一辺倒の、或いはpureでありさえすれば良いと考える国産レンズには無い世界があります。
球を球体に見せるテクニック、素直に技術を積み重ねるだけでは出来ない、余計な物を排除しダイレクトにするだけでは出来ない、そんなテクニックが確かのある事を知っているからです。
私は、時折この狭間で揺れ動いています。