で、その深すぎる記事のどこから攻めていこうかなと困ってます。
こんな記事、書けるものなら書いてみたいですよ。
オーディオと音楽性の関係@Innocent Key
この記事自体もすごく面白いのですが、
記事の一番下にある「参考になりそうな外部リンク」がもうね。
タイトルを見て痺れました。
記事の目次
音楽性の記事の参考記事として、こんな凄いものを持ってくるセンス
12時間円柱を描きつづけてはじめてわかったこと。「気づく」までにはたくさんの時間がかかるのに、みんな先に教わってしまうんだね。
http://izoomi-momo.jugem.jp/?eid=1243701
このタイトルを見て痺れました。身体に電気が走る衝撃でしたよ。
いやー、これを参考記事として持ってきますか、と。
これを凄いと言わずに何を凄いというのか、というくらいで。
この12時間の記事に関連した内容として、私の方も
音楽性を知覚する感覚を得るには同じ曲を10000回聴くといいよ
という記事を書いています。
http://purepure.wp.xdomain.jp/archives/3537
私がこの記事を書いていた時に頭に浮かんでいたのは、
ゴットハンド輝でレントゲンを見極める力を養うために、
正常な人のレントゲン画像を延々と眺め続けさせた続けたと
いう場面でした。
それと全く同じことがこの「12時間の記事」に書かれています。
人間の感覚って本当は物凄い感度があるのですが、
その感覚を鍛えるにはある程度の鍛錬が必要だということと、
頭で考え出すと先入観で感度が鈍くなるということが
感覚を鍛える作業を実際にやってみるとわかるんですよね。
この記事で12時間で理解できたのは選抜された美大生だからであって、
凡人の私が提唱したのは1曲10000回を5年というものでしたから、
努力で才能を覆すというのは相当大変なのでしょう。
その途方もない努力を大変だと思わなかった方は、
その分野に才能があるということなのかもしれません。
あとで、この記事を読んだ感想を書くかも。
もう1つの参考になりそうな外部リンクも凄く面白くて
オーディオに於ける音楽性とは何か? ぱすてるぴあのさん
http://www.audiostyle.net/archives/52009081.html
こちらも素晴らしい記事で内容盛りだくさんなので、
別記事で紹介してみようと思っています。
Innocent Keyさんの記事の要点をご紹介
ここでようやく、紹介した記事の中身に触れつつ
私の見解をだらだら書いてみようかと思います。
全肯定も全否定もしません。
Innocent Keyさんはこう、私はこう。
それだけ。
音楽性が高い=どんな音楽なのか良く伝わる
音楽性が極限に高い状態とはどういう状態かというと、その音楽を聞いて100%誰もが音楽と共鳴している状態です。それは誰もが制作側の意図を完全に理解出来る状態ですが、現実的にはありえません。ですが仮定で理想を示すならばそういう状態です。
私は意図はあくまで恣意的なもので、表現者の内面が
伝わってくるのが「音楽」というものだと考えています。
音楽性ではなくて音楽ですね。
それが人が創る創作物の本質だと思っていますから。
私の場合、心に響く度合いが大きいものを音楽性が高いと考えています。
参考記事はこちら
http://purepure.wp.xdomain.jp/archives/3597
音源によっては表現者が表現したい方向と感情の方向性が
違うこともあって、そういう違いが見えるシステムがいいなと考えています。
(音源としては早見沙織の1stアルバムがいい例でしょうか)
音源にも音楽性の優劣はある
記事では演奏者の技量や状況によって音楽性が変わるよとあります。
私がもし「音源にも音楽性の優劣はある」と書くのなら、
生で直接聞いた時の音楽性を100とした時にその演奏が音源に
なったらどのくらい生の時の音楽性が残っているか、
という視点で考えます。
参考記事はこちら
http://purepure.wp.xdomain.jp/archives/3567
そのため、コンサートとCD販売の両方をしてもらえる方が
システムの評価を行うのにとても重要だと考えています。
ここについては、私と似た視点で考える方はほとんど見かけません。
音楽性は十人十色
得意ジャンルについては正しい認識を示せても、苦手ジャンルの評価は正しく行うことはできない=そもそも感じ取ることが出来ていないものです。
仰る通り。ぐうの音も出ません。
私の感覚の偏り方の酷さは誰にも負けない自信があります。
本当に客観的な評価は非常に難しいと予想されます。
私もその通りだと思っていまして、その上で「客観的な評価」と
いうものが評価として全く成立していないという事実を踏まえ、
客観性に拘るのはむしろ危険だと考えているくらいです。
だからこそ客観的なもの(オーディオ的指標)に頼るのを止め、
感覚を鍛えつつ徹底的に一貫した「主観」で記事を書き続けると
「客観的」という視点を越えられるのではないかと考え、
私の記事はどこまでも「主観」に拘っています。
オーディオシステムの目的と限界
ここは私の意識とかなり異なる部分なので補足が難しいです。
音源をロスなく再生することを目指します。
この「ロスが少なければいい」という考え方が
そもそも幻想だと私は感じているんですよ。
オーディオって「自分はどういう音楽が好きなの?」と
自分と向き合う趣味だと私は思っていて。
そこに客観的とか原音再生とか余計な視点(空論)を持ってきて
おかしなことになっている状況しか見たことがなくて。
高忠実度を謳う変な音の機材を山ほど聞いて本当に本気でウンザリ
しているので、そんな嘘と虚実ばかりしか出せないというのなら、
私は自分の道を進むよとしか言えないです。
音楽性特化で音楽性を高めることは難しい
しかし予算に制限があるのと同様に、殆どの人にとって理解できる音楽性は限られます。誰しも好みがありますのであらゆる音楽を分け隔てなく再生出来る必要はないです。
この視点は非常に重要だと思います。
この視点を持っていない方ほど、
延々とアップグレードする沼に落ちている気がして。
現実的な解は、ある程度のロスを許容して特定の音楽性に特化する手法です。
オーディオ業界は理想を夢見すぎて失敗される方が多いので、
ここで言われている「現実的な解」をもっと意識した方が
いいような気がしています。
特定の音楽性に特化した場合の特徴として、大抵の場合は他の方向性が犠牲になります。
これもその通りですよね。
私も一点突破型で調整しているので弱点が本当に多くて。
この音楽性特化で重要になってくるのは自分自身の音楽性の趣向の理解と、その趣向のために必要とされる音楽的な要素の把握です。これらをしっかりと理解して機器を選定する必要があります。その部分の理解が出来ていない限り、何を導入しても満足のできる音楽性を得ることは難しいでしょう。
これもその通り。
自分自身の音楽性の趣向の理解がないと何を導入しても満足できない
という視点はとても大事だと思います。