味覚も聴覚も、差が分かる人は「千に一人、万に一人」なのかな

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ちょうどいい題材を少年サンデーで見かけたので。
直前におはぎの食べ比べの記事をアップしましたし、タイミング良すぎです。

引用元:
7/13発売少年サンデーNo.33 なのは洋菓子店のいい仕事 第57話
原作:若木民喜

「神のみぞ知るセカイ」を書いていた方です。

引用部分はこちら

nanoha_2016-1110a

次郎。お前、商売を勘違いしてるぞ。
お前のパンは旨い。
もしかしたら、菓子パンはオレより上かも知れねぇ。

でも、それがわかる客がどんだけいる?
千に一人、万に一人だ。

これも実際は少なく見積もってるんじゃないかなと

味が分かる人は「千に一人、万に一人」だろうし、
音が分かる人も「千に一人、万に一人」なんだろうなと思う訳ですよ。

でも、万に一人が分かっていればこんな酷いことになっていないと思うので、
実際はもっと少ないんじゃないかと感じるくらいです。

物の良し悪しを知覚するための感覚は、才能ではないと思います

プロとして厳しい世界で生きていくには間違いなく才能が必要ですが、
いいものをいいと見分けるだけなら才能は不要と感じます。
才能のない私でも、食べ物とオーディオ機器、音源に関してだけなら、
おそらくそれなりに見分けできていると思いますし。

ただ、感覚を育てるために磨く努力を続ける必要はあると思います。
私の場合、音楽に関しては小学一年、
食べ物に関しては小学三年からずっとやってますから。
(その頃からずっと楽器を弾いている、料理を作っているという意味ではなく、
 意識して音や音楽を聴いている、意識して料理したり食事してるということ)

知覚するだけなら5年か10年くらい続けていれば良し悪し程度なら
明確に分かるようになりましたし、そのくらいで十分だと思います。
そして、プロとしてやるなら才能があった上で一生努力を続ける必要があるのでしょう。
今のこの御時世、そこまでできる環境を作るだけで時間切れになりそうです。

感覚は若い時にしか成長しないとは言いますが

私にはそうは思えません。年をとってからだと、
そこまでひたむきにやることが難しいってだけではないでしょうか。
理屈で考えて感覚を鍛えないといくらやっても上達しませんから。

年配の方が新しいことに挑戦して、数年で目に見える成果を出している
なんてものはざっと見回しただけでもかなり一杯ありますし、
年齢なんか関係ないですよ。

「大事なのは気持ち」

それだけだと思います。
全ての創作物、芸事に関してこれ以上大事なものは無いと私は思っていますし、
おそらくその他のあらゆる物事についても同じだと思います。

だって、私が私にあるもので唯一誇れるのは「気持ちの強さ」だけですから。

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