なお、この記事はオーディオカテゴリの記事になります。
コミカライズの方を先に読んでいたのですが、そこで脳内将棋盤の
お話が出たところで私は記事にしたいと思いました。
私はああいうレベルのお話をオーディオの分野でやりたいと
ずっと思っているのですが、相手がほとんどいなかったんです。
「りゅうおうのおしごと!」の紹介記事は別で書いています。
記事の目次
脳内将棋盤のお話って?
この作品では「才能」の分野のお話になっています。
才能がある人ほど脳内将棋盤が鮮明になって
読みが鋭く深くなるという内容で、ヒロインのあいは
脳内将棋盤が複数存在するという才能持ち。
なお、この感覚は中二病的なものではなく本当にあるようです。
「脳内将棋盤が複数存在する」なんてレベルがあるのかー
というのが私の感じた印象で、そういった私が持っていない
高いレベルの感覚のお話を聞くのがとても楽しいんですよ。
でも、オーディオの分野でそういう感覚のことを
お話で聞くことがほぼ皆無で、面白くなかったんです。
佐藤利奈の「音に色がある」というのくらいですよ。
私のブログのオーディオカテゴリを読んでいる方はわかると思いますが、
製品のレビューにはそこそこ反応があるのですが、
「私は音をこう感じました」という感覚の内容に対しては
反応がほとんど無いんですよね。
リアルの試聴会などでそのあたりの感覚について小出しにして
様子を伺うことが多々あるのですが、会話が成立しないんです。
りゅうおうのおしごと!的に言うと、脳内将棋盤なんてそんなもの
ある訳無いと言われて終わる、そんな感じの経験がほとんどでした。
棋士の方々って普通の人から見れば誰もが能力持ちですから、
「脳内将棋盤」のことで会話が成立していること自体が凄いことなんですよね。
私もオーディオでそういう高い次元の感覚のお話がしたかったのですが、
ほとんどできなかったんですよ。
普通の人だと「自分の知らない感覚=気持ち悪い」となりますよね
自分の知らない感覚の話が話題になると、なにそれ普通じゃない
気持ち悪いなどのように思われる方が大多数かなと思います。
私の場合、私が知らない感覚のお話になると何それ面白いどんな
風になるの?という気持ちしか出てきません。私はそのあたりの
感覚が狂っているため、今でも中二病的題材を扱うラノベ系作品に
対してあまり抵抗がないのかもしれません。
そこまで情報を探そうとしないと救いが見つからなかったんですが、
それはまた別のお話。
で、その会話が成立しない感覚って具体的には?
私が今一番気にしているのは「音の色」ですね。
音楽に存在する音楽性、演奏に存在する音楽性、
録音に存在する音楽性、機材に存在する音楽性を
個別に意識していらっしゃる方も少ないでしょうし、
空間表現も私の求める音についても、そういう私が気にしている
大半のもので会話が成立しないのでポカーンとされますよ?
音は七色で空間表現が素晴らしくなると音波の重なる部分に
グラデーションがかかって更に美しくなりますが、
こうやって書いても意味が分からないですよね。
そのあたりの感覚のお話が「りゅうおうのおしごと!」では
いい感じに表現されていて、いいなーと思いました。
「りゅうおうのおしごと!」の一説を少し取り出してみますね。
原作5巻 p.346
そして将棋が始まり---少女はいつのまにか、泣くことを忘れていた。
少年の将棋を見るのが、あまりにも楽しかったから……。
序盤早々に城跡から外れたその将棋は、青々とした野山を探検するかのような驚きと興奮に満ちていた。彼の棋譜はまるで宝の地図だった。
私が音楽に対して抱いている気持ちはこれと全く同じです。
私の感覚としては宝の山という感じで、
同じ曲を何度聴いても(掘っても)いくらでも発見があります。
システムの表現力が上がれば、得るものはどんどん増えます。
得るものを増やしたくて私は機材や音楽を選びますから、
結果として私の機材の選択は必ず私の期待に応えてくれますし、
何度聴いても飽きません。
原作4巻 p.85
「ただモニター越しだと得られる情報が少なくて……せめて同じ部屋にいればもうちょっと正確に施工を読めると思うんですけど……」
「え?指し手は全て正確に伝わっていますけど……?」
上の台詞が主人公の八一(竜王)のものです。
気配に人の感覚や思考って出ますからね。
私も試聴会で他の方がどう感じているのかなーと気配を伺って
情報を得ていますが、こんなことを言っても伝わる訳ないんですよ。
原作4巻 p.37
あいは『どうしてそんなわかりきったことを聞くんだろう?』と不思議そうな表情を浮かべながらひょいひょいコマを動かして長手数の詰みを披露する。
その詰みはどれもあいにとっては『読む』ものですらなく、ただ『見える』だけのものだ。
見えない人間の存在が信じられないほどに。
将棋の感想戦での一場面。
最後の一文を除外すると、あーこの感覚わかるわーと妙に納得した場面でした。
私の音の表現っていろいろ考えて出しているのではなくて
自分の感覚を言葉に直して書いているだけなので、
音楽を『読んで』いる訳ではなくて『見えている』ものを出すだけなんです。
『読む』のは歌詞の意味を考える時だけで、大体は音と歌い手の感情から
拾った情報と歌詞の内容が一致して自分が驚くということばかりです。
たまに一致していないときもあって、
うん、まあ、そういう音楽についてはあまり書きたくないです。
無理してる部分が音に出てしまっているんですよね。
・・・と、まあ、こんな感じなので会話になる訳がないのですよ。
でも、世の中にはこのレベルの感覚が通じる方もいらっしゃって、
そういう方との会話は時間を忘れてしまいます。
打てば響く相手との感覚のやりとりは面白すぎますよ。
何度も言いますが、私の音楽的センスは皆無です
センスのない音楽ばかり聞いているため、
ここだけは誤解されては困るので。
誰かその音楽的センスを分けてください・・・。
オーディオ界隈で私が一番尊敬している方(2/5更新)
このタイミングでちょっと書いてみたいなと思いまして。
その方は、私の一回り以上年齢が上の方なのですが、
世間で評判の機材を買って音楽を聴いても面白くないと
困っていらっしゃいました。
で、変なことしか書いていない、どこぞの馬の骨と呼ぶことすら
おこがましいくらいの私のブログの記事を読んで、
私がお薦めしている機材を実際に試されたそうです。
その結果、私がお薦めしていた機材を導入することになり、
そこから私と同じように音への感覚が徐々に成長していらっしゃって、
このままいったら私は追い抜かれるかもと思っている状態だったりします。
自分よりずっと年下の人の意見なんか聞きたくないじゃないですか。
特に年配の方でしたら尚更です。
それを取り入れてみようと思う柔軟性と行動力、
それがいいとおもう感性の高さと、そこからさらに成長する伸び代。
どれを取っても尊敬に値する凄い方だなーと思っています。
他人をこき下ろすことなんて至極簡単で皆やっていますけど、
それで状況が改善することなんて何一つ無いんですよね。
ただの憂さ晴らしですから。
そこからたった一歩でも踏み出せている方が、
一体どのくらいいらっしゃいますか?
0.1%でもいればこのオーディオ業界、今のような惨事には
なっていなかったと思いますよ。
もう一人(2/6追加)
最初から私の感覚が遠く及ばないほどの領域にいるのに、
自己肯定感が低い、ただそれだけの理由で自分の感性の
高さを認められずに才能を発揮できていない様は、
多くの作品に登場する能力はあるけど自分なんかダメだと
自分を否定して実力を発揮できないキャラクタを彷彿とさせます。
というかそういう人、私の周りにたくさんいますよ。
今のタイミングだと「りゅうおうのおしごと!」の主人公の
八一竜王もそうですよね。
全然わからなくなってしまったと言いながら
溢れんばかりの煌めきを紡ぎ出すあの自己矛盾は、
自覚しないと相当辛いと思います。
自分の力を自覚しないと確実に自己崩壊起こしますよ。
自分を否定している間は力を発揮できませんから、
何とか自分の心に打ち勝って
圧倒的な高さから見えているその輝く世界を
私に見せてほしいと思っているのですが・・・。
余談。自分の手の内を公開しないオラオラ系のひとは何なんですか?(2/6追加)
お前たちは大した事ない、俺は分かっている、
苦労して到達した領域だからお前たちには教えないとか宣う人を
呆れるほどたくさんたくさん見てきましたけど、あれは何なんですか?
誰一人としてそのハリボテ、隠せてなかったですよ。
自分なんかと言う方からは隠せないほどの煌めきが見えたのに、
何もなかったですよ?その人たち。
正々堂々と圧倒的な高さから負かして欲しいと私は思っているのですが、
そういう方は今後、どれだけ現れてくれるのでしょうか。
もう30年以上待っているんですけど。