1つ前の記事で紹介したものです。
親に愛されてきた人が語る決定的に間違った毒親との関係
http://anond.hatelabo.jp/20140402111648
今回見つけた中ではこれが一番的確な指摘なのではないかと思いました。
全部引用したくなるくらいの素晴らしい内容です。
今回の記事で対象としているのは母と娘の関係です。
私は親と子どもの関係でずっと記事を書いていましたが、
今回は少し違いますのでご容赦ください。
もちろん、母と娘の関係以外でも通用する内容になっています。
記事の目次
内容を引用しつつ紹介します
さすがに全部すると迷惑になりますから、少しずつ。
順番が違う
結構ひどい母娘関係から脱出して今に至るんだが、これはちょっとなーと…まぁ間違っちゃないんだけどさ。順番が!順番が違うのよ!
この順番が違うということが誤解の元凶と言えるくらい重要なのですが、
それは残念ながら大変な目に遭った人にしかわからない。
自己肯定感の低い人は、善良な人々に傷つけられる
7.
「育ててもらったのだから親に感謝すべき」という善良な人々の言葉に傷つき、自分がおかしいのではとますます自己肯定感が弱くなる
ここ重要。超大事。試験に出ます。
さすが自己肯定感の低さを知っている人は言うことが違う。
全てにおいて親に否定されるということ
毒親に育てられた場合は全てにおいて親に否定をされ、しかも社会ともうまくやっていけないことが多いため、回復できず結果的に自己肯定感が縮退していくのです。
1つ前の記事でこの程度が毒親?と、私は書きました。
(3月のライオン、幸田家)
「全てにおいて親に否定される」ことを作品では描かれていなかったからです。
将棋の世界が全ての父親に将棋をしなくてもいいとは言われていますが、
これは全てにおいて否定されることとは少し違うんです。
「全てにおいて否定される」というのは、言うこと為す事考える事を
365日何から何まで片っ端から否定されることを言います。
数万という数字では足りないくらい否定されるんです。
あの程度のことを毒親と言ってしまったら、毒親じゃない親は存在しない
くらいじゃないかと思ったので、私は毒親ではないと言っているのです。
そのくらい、普通の人と自己肯定感の低い人は見ている環境が異なります。
尤も、香子のように父親の愛情を受けることが全てと思っている子どもですと、
全てにおいて親に否定されたと思うのは至極当然です。
結果が同じならみんな同じだと思うと大事なものを見落とすよと
私は言っているだけです。
なお、私は香子を子どもの考えだと突き放すこともできないですが、
どうしたらよかったのか、代案も思いつきません。
母親がフォローできればよかったのでしょうが、
それは普通の人にとって相当高いハードルですよ?
「もう少しおとなになったら?お母さんも疲れてたんじゃない?」などと言ってしまうタイプが自己肯定感の低い人です。
ここについては私から見るとちょっと違うかなと思いました。
「もう少しおとなになったら?」というタイプは、自分の自己肯定感が
低くなっていることに自覚のない人の典型例だと私は思っていますから。
「親も人間だから」「それでも愛してくれてはいるはず」とか言ってたら手遅れになります。とっとと親離れして、また親に子離れをさせて、正常な人間関係を取り戻さなければなりません。
素晴らしい指摘です。
ただ、どうやったら子離れさせることができるかは書かれておらず、
私にも分かりません・・・。
許す必要はない
「それでも私たちはそろそろ、母親を許しませんか?」
許す必要はありません。許したら離れられなくなります。
ここの指摘も素晴らしいのでぜひ原文をお読み下さい。
他人の不幸を背負ってはいけない
「母親から完全に離れて、一人の女性として見てあげませんか?」
完全に離れるのは良い方法です。
そして母親は一人の間違った人間で、自分に害をなす存在であると認識しましょう。あなたの親をあなたが育てる必要はありません。
子離れさせるには、物理的に距離を置くところがスタートなのでしょうか。
私みたいに小学生の段階で身体が参った人には無理なのかも。
「あなたの親をあなたが育てる必要はありません」ってところが
ここでの肝です。ここの内容も全て素晴らしい。
なお、永田さんも同じことを書かれていましたので、
私は永田さんの書籍の内容は否定できないというスタンスを取っています。
「xxが可哀想」と思って他人の不幸を背負おうとすると、
共依存と不幸の連鎖が始まります。
問題を起こした人に対応させる以外に問題は解決しないと
いうことなのかと、今の私は思っています。
これが心の優しい人が不幸になりやすい理由なのかもしれません。
時には突っぱねることも必要なのかも。
「3月のライオン」を例にすると?
桐島零を引き取ることは他人の不幸を背負うということではありませんよ?
零は家族を失っていますが、その原因は桐島零にはありません。
零のせいで父親に見捨てられたと香子と歩は思っていますが、
零がいなくても同じだったということは作品を読めばわかると思います。
子どもが親からの関心を失うというどうにもならない憤りの矛先が
立場の弱い桐島零に向かっただけです。ただ、それだけです。
だから桐島零を引き取ることは他人の不幸を背負うということでは
ないですし、桐島零がいたから幸田家の人達が苦しんだ訳でも無い。
ただし、香子と歩に将棋の道に行けるだけの才能があった場合は別です。
その時は秀才が天才に打ちのめされるという別のお話が始まってしまいます。
零がいなかったら香子と歩はもっと努力して棋士になれたじゃないかと思う人も
いるかもしれませんが、そこは父親が言うように、そんな障害があってもなお
前を向いて研鑽を積める人じゃないと棋士になんてなれないですよ。
棋士はたった200人しかおらず、そこに入るというのは並大抵のことではなく、
普通の人が想像できる程度の努力など、何の意味もないのですから。
他人の不幸を背負うというのは、例えば、ギャンブルや不倫で
家族を失った人に対して、その人が可哀想だからといって食事を作りに
行ったり、お金を貸したりすることではないのかなと私は思います。
そのあたりの塩梅は、意外とわかりづらいものなのでしょう。
purepureさん、Fujiです。
>毒親に育てられた場合は全てにおいて親に否定をされ、しかも社会ともうまくやっていけないことが多いため、回復できず結果的に自己肯定感が縮退していくのです。
ご無沙汰しております。今回は、オーディオの事では無く私の息子に付いてお聞きしたい事が御座います。実は私には一人の息子(36歳)が居りまして、未だにまともな仕事にも付けず、結婚も出来ず、アルバイト程度の仕事しかしておりません。当然収入は微々たる物で、親元を離れて一人で生活するなどと言う事は全く考えてない様です。その様な状況ですから、つい親として今の現状をどの様打開するのか、自立するつもりはないのか、いつまで親のすねをかじっているんだ、とキツイ言葉で問い質すのですが、この様な話になると本人は黙り込んでしまい全くらちがあきません。この様な状態が大学を卒業して以来ずーっと続いています。勿論、この間色々な所で相談したり、自立の為のプログラムに参加させたりしましたが、全く効果が無く現在に至っています。
如何でしょうか、もしかしたら私は毒親なんでしょうか、purepureさんは私の息子をどの様に分析されますか。