今までの長い期間、あらゆることが常識との戦いだった気がする

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今も体調はよくなったり悪くなったりしていますが、
慌てる必要がないことが分かったので楽になっています。

で、「常識との戦い」について書きたくなったので投下。
言いたいことを並べただけなので主題がブレていますが、
これ以上はもう直せませんでした・・・。

巷の常識が正しくないと言える理由

私が周りの人と感性が大きく違うというのは
かなり小さい時から自覚していました。
なので、学生時代は本当に大変でした。
「人と違うことがかっこいい」という考え方はよく見かけますが、
ガチで違うと洒落にならないですよ?ほんと。

で、今、よくよく考えなおしているのですが、
巷の常識というものを振りかざして幸せになっている人が
一体どれだけいるだろうと考えた時、
実は幸せな人がほとんどいないことに気づくんですよね。

それって大部分の常識は間違っているということを
暗示していると思うのですよ。
そりゃ大事な常識、正しい常識もたくさんありますよ?
でも、それ以上に間違った常識が山ほどある。

正しい常識と正しくない常識と、
私は見分けることが全くできませんでした。
だからここまで回復するのに時間が掛かったのだと思っています。

人より数十倍くらいなら頑張れたことも、
大体のことはそこそこできたことも、
この気付きが遅れたことの要因だと思います。

小学生の時に英語を3年間やってもcatとdogくらいしか
分からなかったし、ThisとThatはいつもどっちがどっちか
分からなかった。そんな状態でも成績はそこそこよかった。
就職してC言語を勉強してみたら、
int a=10;を理解するのに一ヶ月も掛かった。
それでも分かってからは早かったため何とかなってたんですよね。
ただ、スクリプト言語はもう習得できる気がしません・・・あれは無理です。

私の場合、何でもかんでも答えにたどり着くのがありえないほど遅くて、
それを長いこと力づくで解決できてしまっていたので、
いろいろ遅くなってしまったのかなと思っています。
いや、試行回数が多いことを否定する訳ではないのですが、
「何でもかんでもそんな状況になるのは何かある」と、
考えたほうが建設的だったんじゃないかと。
ま、それができなかったから大変だった訳ですが。

感性を縛る常識の行き着く先

私を苦しめていた常識は、
ほとんどが私の感性を、想いを、行動を、縛るものばかりでした。
あれやっちゃいけない、これやっちゃいけない、
こう考えないといけないんだ、こうならないといけないんだ、
そんなにガチガチに縛られて身体が何ともない訳がない。

肩の可動域を高校時代と同等にまで戻すのに
たった3回で済むほど効果の強い鍼なのに、
体幹の緊張を一枚解くには一年半の時間と発熱が必要でした。

身体に胸痛発作として異常が出たのが中学二年、
前兆として腸の動きが悪くなったのが中学一年、
胸の周りの筋肉が緊張して心臓の鼓動が煩くなって
落ち着いて寝られなくなったのが小学五年、
四六時中追い立てられるように何かしなきゃいけないという
強迫観念に縛られていたのなんか小学一年くらいからずっとでした。

ほんと、ここまで耐えられたのは奇跡以外の何物でもないです。
ここから体調が本当に回復してしまったら、私にとっては
これ以上の奇跡は地球上に存在しないってくらいの出来事になります。

自分を苦しめる「常識」を自覚している方は、
一度その「常識」と対決することをお勧めします。
大概その「常識」は間違いだということに気づくのではないかと思います。

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